2011年04月
2011年04月20日
元気の薬
子供の頃、日曜日の朝だと思ったのですが色んな童話をテレビで放映する番組があって、外国で作られたものか俳優さんがすべて外人なので子供心にそれは全く現実身を持った童話の世界でした。
有名なプリンセスシリーズの「白雪姫」や「人魚姫」「シンデレラ」を夢見る思いで観ていましたが、その中であまり絵本でも見なかった塔の上から長い髪をたらしてそれに王子様がつかまって上って行く物語が鮮明に記憶に残っていました。
今回ディズニーのアニメになって上映されることになって、早速観に行ってきました。(この手の映画は一人が一番)
お姫様の名前も少しも記憶に残っていませんでしたが題名は「塔の上のラプンツェル」、3Dの映画を観るのも初めてでした。
吹き替えとは知らずに入ったのですが、それも正解で歌唱力のある声優さん達の歌声にどんどんと引き込まれていき、楽しくて可笑しくてそしてとても感動してしまいました。
このところ気持ちの沈んでしまうような日が続いていたのですが、なんだかとても元気が出て、映画は多く観る方だと思っていますが多分自分の一番好きなのはこんなのかな?と改めて確信してしまうほど良かった!
早速ラプンツェルグッズを買いに走ったのですが、残念すべて売り切れで何も残っていませんでした。
この春私の一押しの映画案内でした。
有名なプリンセスシリーズの「白雪姫」や「人魚姫」「シンデレラ」を夢見る思いで観ていましたが、その中であまり絵本でも見なかった塔の上から長い髪をたらしてそれに王子様がつかまって上って行く物語が鮮明に記憶に残っていました。
今回ディズニーのアニメになって上映されることになって、早速観に行ってきました。(この手の映画は一人が一番)
お姫様の名前も少しも記憶に残っていませんでしたが題名は「塔の上のラプンツェル」、3Dの映画を観るのも初めてでした。
吹き替えとは知らずに入ったのですが、それも正解で歌唱力のある声優さん達の歌声にどんどんと引き込まれていき、楽しくて可笑しくてそしてとても感動してしまいました。
このところ気持ちの沈んでしまうような日が続いていたのですが、なんだかとても元気が出て、映画は多く観る方だと思っていますが多分自分の一番好きなのはこんなのかな?と改めて確信してしまうほど良かった!
早速ラプンツェルグッズを買いに走ったのですが、残念すべて売り切れで何も残っていませんでした。
この春私の一押しの映画案内でした。
2011年04月04日
2011年04月02日
悲しみが続きます
3月28日、大切な大切な友達が54歳の若さでこの世を去りました。
堀野光芳さん、私たちは親しみをこめて「オリベッティ」と呼んでいました。彼とは鳴海に来て以来ですから30年以上の付き合いになります。
地元の消防団に入り、鳴海猩々チームで踊りそして大将の野球チームのキャプテンでもありました。
一昨年の11月に喉に異変を感じたのが食道がんのはじまりでした。翌年から辛い抗がん剤の治療を始めいよいよ手術となった時には喉頭まで取らなければという事になり、声を失う事への決心がどうしてもつかないと手術の2日前にも大将のところへ話しに来ていました。
彼には手術をしなければ一年半しか持たないと(家族には半年と言っていたそうですが)言われたそうで、大将は「何が何でも皆は生きていて欲しいと願っているのだから」と最後まで背中を押す役目をしたのです。
人前では泣いたことのないオリベッティがその夜12時を過ぎて店から出た時、月明かりの中で背中を叩いた彼の自転車のサドルに落とした涙を忘れられません。
踊りでも野球でもあんなに大きな声を出していたその声との引き換えだから「どうか少しでも長く寿命を」と祈るばかりでしたのに、一年と持たずに逝ってしまいました。
私たちの周りで彼ほど多くの人に愛された人はいないでしょう。子供達にも人気があってお通夜でも沢山のちびっ子がお参りしてくれました。
毎週火曜日に踊りの練習が終わった後店に寄って、遅くまで大将と野球や好きな競馬の話をしていきました。電話で話せなくなった彼のために大将はメールも覚えました。
3年前の夏に区民大会の決勝戦でもう負けが決まった時、両チームの声援に送られて2人でバッテリーを組んだよね、大将には最高思い出です。
安らかに安らかに眠ってください、決して忘れないよ、絶対だから。
堀野光芳さん、私たちは親しみをこめて「オリベッティ」と呼んでいました。彼とは鳴海に来て以来ですから30年以上の付き合いになります。
地元の消防団に入り、鳴海猩々チームで踊りそして大将の野球チームのキャプテンでもありました。
一昨年の11月に喉に異変を感じたのが食道がんのはじまりでした。翌年から辛い抗がん剤の治療を始めいよいよ手術となった時には喉頭まで取らなければという事になり、声を失う事への決心がどうしてもつかないと手術の2日前にも大将のところへ話しに来ていました。
彼には手術をしなければ一年半しか持たないと(家族には半年と言っていたそうですが)言われたそうで、大将は「何が何でも皆は生きていて欲しいと願っているのだから」と最後まで背中を押す役目をしたのです。
人前では泣いたことのないオリベッティがその夜12時を過ぎて店から出た時、月明かりの中で背中を叩いた彼の自転車のサドルに落とした涙を忘れられません。
踊りでも野球でもあんなに大きな声を出していたその声との引き換えだから「どうか少しでも長く寿命を」と祈るばかりでしたのに、一年と持たずに逝ってしまいました。
私たちの周りで彼ほど多くの人に愛された人はいないでしょう。子供達にも人気があってお通夜でも沢山のちびっ子がお参りしてくれました。
毎週火曜日に踊りの練習が終わった後店に寄って、遅くまで大将と野球や好きな競馬の話をしていきました。電話で話せなくなった彼のために大将はメールも覚えました。
3年前の夏に区民大会の決勝戦でもう負けが決まった時、両チームの声援に送られて2人でバッテリーを組んだよね、大将には最高思い出です。
安らかに安らかに眠ってください、決して忘れないよ、絶対だから。